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お久しぶりの記事ですが読書ではなく先日行ってきた『ルー大柴展』…のような『ダリ展』の感想です。それにしてもダリとルー大柴、瓜二つ過ぎやしませんか?ルーさんの祖先はもしやスパニッシュ系???
閑話休題。京都市美術館に足を運んだのは6日土曜日でしたが人はまばらで比較的じっくりと一枚一枚鑑賞することが出来ました。閑散としていた、と言っても良いでしょうか、あの炎天下では観に来るのも億劫なのかも知れません。それとも意外とダリの絵を好ましく思う方が少ないのかなぁ。
本題の絵画の方は人口に膾炙された一級品は出展されておらず、目玉商品の類は無かったような気がします。横で喋っていた知らない方も「これといったものがなくインパクトに欠けるなぁ」と仰っていました(すいません、盗み聴きしました)。しかし、そこはダリ。一目見てダリの作品だと分かるものも多く、ダリファンにはたまらない展示会だと思われます。
時間が許せば作品の年代順で出展作品を紹介していきたいのですが、今回は年代バラバラでお許しください^ ^。
ダリにはキュビズム時代があり、ピカソやブラックに薫陶を受けたような作品が幾つかありました。これも自画像なのですが、「ラファエロ風の首をした自画像」と比べると同じ画家が描いた自画像とは到底思えません。2次元で3次元の世界を表現しようとする試みは書き手も難しいでしょうけれど、鑑賞する側も困難を極めてしまいます。このような作品を芯から享受出来ればなぁ。
「ラファエロ風の首をした自画像」
ダリが最も敬愛する画家の1人であるラファエロに敬意が払われています。が、自分にはどうもこれがラファエロ風?と思ってしまうのですが、タイトルは「ラファエロ風の首をした」とあるので、首がラファエロ風なのでしょうか?ラファエロの自画像と見比べてみると確かに首のシルエットは似ている気がしますが、質感やタッチは全く異質のものに思えてしまうのですが、どうなのでしょうか。
今回の出展作の中でも一二を争うほどインパクトがありました。筆をそのまま振り落した黒、そこに先の細い何かでぐしゃぐしゃに線が引かれています。衝動的でダリのイメージのタッチとは異なっていて、新たな発見ができました。
このドン・キホーテシリーズは連作であと何枚も展示されていたので、物語の順を追って鑑賞し楽しめました。
「ウサギの穴に落ちて」
これも文学作品からの連作で、ダリのイメージが横溢しています。この絵を見るとなんとなくダリがイメージしたものがみえてくるのではないでしょうか?『不思議の国のアリス』のひとコマです。ウサギも躍動していますが、なんといってもこの色彩が素晴らしいです。ダリは暗色のイメージがついちゃってますが、『不思議の国のアリス』の夢のイメージを表現するとなると、こよような高い色彩を用いることもあったのですね。ダリは色んな人に崇敬を抱いているようです。
「子ども、女への壮大な記念碑」
シュルレアリスム時代のもので、ダリが「腐敗」というモティーフを多用するようになります。どれもこれも異様に溶けている、というか腐敗していますね。また、目を凝らして見ると幾らかの発見が可能な絵でもあり、モナリザ、ナポレオン・ボナパルトなども潜んでいたりします。ブニュエルとの映画「アンダルシアの犬」でも彼は腐ったロバを登場させているようで、腐敗のモティーフは彼にとって「あらゆる物質に適用されている」という点で重要だったようです。
広島・長崎への原爆投下はダリにとって衝撃的な出来事であり、芸術家としても多いに影響ないし変化を余儀なくされたようです。エノラゲイまで見えています。この絵の禍々しさは言葉では容易に表現できない気がします。ですが絵画であればこのように一瞬で表現可能、という点では非常に有効な表現方法だと思いました。逆説的にそれも弱点に成り得ますが、一瞬間のインパクトでは強力に過ぎます。
「ラファエロの聖母の最高速度」
これもまたラファエロに敬意が払われてモティーフとして用いられています。自画像の方と違ってこちらの女性の顔はラファエロの聖母っぽいと思えます。これも原子力時代の作品ですが、物質が分解されていく過程、その原子のような球体と円錐の動的な感覚は、量子物理学と原子物理学に関心が深くなった彼の新たな精神性の開示です。最高速度の意図がブリリアントに訴えかけてきました。球体をモティーフにした画家は過去にいますが、円錐を自身のテーマとしたのは新鮮。
これらの他にも〈見えない人〉シリーズも有りましたし、『アンダルシアの犬』も上映されてました。ダリの彫刻やデザインしたシンプルで豪華なジュエリーも展示されており、絵に穴が開くほど凝視して疲れた目の休息にも良かったです
勿論展覧会に行ったら買わなきゃモヤモヤしてしまう図録もしっかり購入いたしました。造本もしっかりしていて装丁もインパクトがあるのでグッジョブです。また、ダリがデザインしたらしきピタゴラスイッチ的な巨大ガチャガチャも有りましたが、レジで「ダリ紙幣」を購入すること、あの巨大な装置を回すのに注目されてしまうことを鑑みて、紳士に自主辞退しておきました^ ^。
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6月の鑑賞メーター
観たビデオの数:6本
観た鑑賞時間:1163分
SUITS/スーツ DVD-BOX面白い!ハーヴィーの傲慢だけど窮地を切り抜けていく様が気持ちいいです。彼の雰囲気も悪くない。リーガルものというよりかは、裏をかいたヒューマニティー色が濃い。鑑賞日:06月30日 監督
ニード・フォー・スピード ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]カーバトル系はやっぱりワイルドスピードに勝るものはないな(違う意味で『ドライヴ』が勝るけれど)、と思っちゃいました。ラストのレースの高級車たちには現実味が全く感じられなくて楽しかったです(笑)灯台で彼がつかまりながらも、夢で観たシーンの再現が出来てこれ以上報われる結末はないなと思いました。そう考えると良い映画かも知れません。鑑賞日:06月16日 監督:スコット・ワウ
アウトロー [DVD]冒頭部の照準鏡による視覚の限定、バス停でのユーモア、が印象に残りました。主人公はたまに負けそうになるスティーヴン・セガールといったところでしょうか。これだけ名声を得ている俳優であるのに、カーアクションはスタントを使わないという姿勢が尊敬できます。鑑賞日:06月07日 監督:クリストファー・マッカリー
6月の前半はアクションものが多かったのですが、職業上法律関連の映画は要チェックなのでリーガルドラマの『SUITS』を借りてみたら琴線に触れた、というよりも琴線にぶつかられてしまいました。
シーズン4まで(?)レンタルされてるようですが、上記のBoxセットはシーズン1です。1話ごとに紆余曲折あり過ぎて展開が読めません。ですが、好ましく思えるかそうでないかはくっきり別れそうなドラマかも知れません。
ブレット・イーストン・エリスが『アメリカン・サイコ』で描いた上流社会の無意味だけれど効果的なブランド(名称)の羅列は、そのまま現代の作品にも受け継がれているのだなと感じられます。でもそれが現代だから私達には彼らが(弁護士ハーヴィーと偽弁護士マイク)スタイリッシュに映ります。
オートクチュールだろうがプレタポルテであろうがファストファッションだろうが、毒されてます、自分たち(苦笑)
フレデリック・ショパン
「練習曲集 作品10・作品25」
(Pf)マウリツィオ・ポリーニ
(演奏時間)56'06
Deutsche Grammophon
1972年
- 練習曲 第1番 ハ長調 Op.10-1「滝」
- 練習曲 第2番 イ短調 Op.10-2
- 練習曲 第3番 ホ長調「別れの曲」
- 練習曲 第4番 嬰ハ短調 Op.10-4
- 練習曲 第5番 変ト長調「黒鍵」
- 練習曲 第6番 変ホ短調 Op.10-6
- 練習曲 第7番 ハ長調 Op.10-7
- 練習曲 第8番 ヘ長調 Op.10-8
- 練習曲 第9番 ヘ短調 Op.10-9
- 練習曲 第10番 変イ長調 Op.10-10
- 練習曲 第11番 変ホ長調 Op.10-11
- 練習曲 第12番 ハ短調「革命」
- 練習曲 第13番 変イ長調「牧童」
- 練習曲 第14番 ヘ短調 Op.25-2
- 練習曲 第15番 ヘ長調 Op.25-3
- 練習曲 第16番 イ短調 Op.25-4
- 練習曲 第17番 ホ短調 Op.25-5
- 練習曲 第18番 嬰ト短調 Op.25-6
- 練習曲 第19番 嬰ハ短調 Op.25-7
- 練習曲 第20番 変ニ長調 Op.25-8
- 練習曲 第21番 変ト長調「蝶々」
- 練習曲 第22番 ロ短調 Op.25-10
- 練習曲 第23番 イ短調「木枯らし」
- 練習曲 第24番 ハ短調「大洋」
ショパンの練習曲は全27曲ありますが、その内24曲(作品10と作品25の全曲)が収録されています。練習曲と題するこの楽曲はその名の通り「これらの作品を練習すれば上達しますよ」というようなもので、各々の曲に意図が含まれております。第18番などは3度和音を速いパッセージで弾かなければならない技巧的な曲で、第24番まで弾き通すと弾き手にとっては確かな手応えがある、と思われます(自身弾けないので何とも言えません)。
しかしそれだけではありません。「練習曲」と題するのが勿体無いほど音楽として完璧に聴こえますし、見事弾きこなせばショパンの真髄を垣間見ることが可能です。そのよい一例がこのイタリアはミラノ出身のマウリツィオ・ポリーニのエチュードなのです。
第6回ショパンコンクールを優勝しその後10年間ミケランジェリに師事し、颯爽とショパンのエチュードを披露して魅せてくれ(といってもリアルタイムでは知りませんけれども)、自分はそのポリーニのエチュードがお気に入りなのです。
本盤がショパン・エチュードの決定盤だ!!という方がとても多い反面、冷たく冷徹な演奏と酷評されていることも結構あります。自分は擁護派なので色んな声が多くあるということは、それだけ聴かれている演奏なのだろうと御都合主義的な目線でおります。
冷徹や機械的な演奏というのも分からなくもありません。終始均等な音を鳴らしているし、録音かはたまたピアノ自体の響きがクリアに過ぎるのですね。ですが転じてそれは賛美にもなり得て、均等に音を鳴らすタッチは技術的に優れていなければ出来るものではないでしょうし、細かなパッセージまで難なくこなす超絶技巧です。
また、徹頭徹尾一貫性のある音楽性は透徹した演奏の賜物でしょう。韋駄天の如きスピードであっという間に終わってしまう第1番なども一音足りとも疎かしませんし、人口に膾炙された第3番「別れの曲」のホ長調でさえタッチは強靭といってもよいくらいです。それでいて優しく憂いもあるのは彼ならではと思っています。曲の解釈も剛毅というのでしょうか、見事です。
しっかりと細部にまで気を配っていて、表面的であろうが芸術性を感じなかろうが、どこまでいってもロマンチックで何度も聴きたくなってしまいます。
J.S.バッハ
「ゴルトベルク変奏曲」
(ピアノ)
アンドラーシュ・シフ Andreas Schiff
(演奏時間)71分11秒
ECM 2001年10月 バーゼル(ライヴ録音)
ゴルトベルク変奏曲はロシアの大使であるカイザーリンク伯爵の不眠を解消するために書かれた曲だと言われていますが、自分はとてもこの逸話に違和感乃至矛盾を感じて止みません。不眠解消の為というよりかは寧ろ眠りたくない時に聴く楽曲ではないでしょうか?これ程完璧な小品を聴いていて眠気が訪れるというのは、自分にとっては信じ難いですし、始めの標題で目が冴えてしまうんじゃないかな、と思えてなりません。
この楽曲を語るときに必ずと言って良いほど引き合いに出されるのがグールドの演奏です。彼の登場以来ゴルトベルク変奏曲は良くも悪くも彼に絡め取られてしまっているような気がしますが、彼の演奏には彼の良さが、シフの演奏はシフの良さがあります。どちらが好みか?と問われた場合、自分なら迷うことなくシフの肩を持つことと思います。
30の変奏が冒頭と末尾のアリアに挟まれた構成ですが、シフの演奏は1音で劇的に何がが伝わってくるものではなく(ですが1音1音丁寧に鳴らしてます)、音が奏でられていくたびにじわりじわりと染み入ってくる演奏です。冒頭のアリアが回帰するダ・カーポのアリア。70分弱ある演奏の長い旅路にはシフのもてなしが幾つもあり、終着点でシフに、或いはバッハに感謝せずにはおれなくなります。
彼のピアノはとても柔らかでいたって自然。衒いのようなものは一切感じられず、瑞々しいタッチと自由闊達な演奏に終始しています。柔らかなフレージングも淀みのないレガート奏法などを耳にしていると、クライマックスに向かって技巧的になるにせよ、ヴィルトゥオーソ性はこの楽曲の何かを覆い隠してしまいそうで必要はない、と言い切ってしまっても悔いはありません。
オクターブを上げて弾いたり装飾音に変化をつけたり、第九変奏のカンタービレなども好ましく思えますが、明晰な解釈をしているな、と思えるのはリピートを省略せず全て弾ききっているという所。完璧なシンメトリー構造を再現するにはなるたけ楽譜の音を省略しない方が良いのは明白ですし、何より偉大な作曲家が記した世界共通言語を省略するということは、言葉1つ取り払ってしまうのと同じです。表現したいことの文章の一語を取っ払ってしまうと、ときにその一語だけで全く意味が汲み取れなくなることもあるでしょう。同じく、音符も同様、と考えているのでシフのリピート全演奏はそれだけで価値があるとも思えます(因みにグールドは省略が多いです)。故に「ゴルトベルク変奏曲」、転じてバッハのエッセンスをしっかりと汲み取っているのではないかなと思えるのです。
スイスはバーゼルでのライヴテイク(再録)ですが、ECMの録音技術も良いのでしょうか、1音1音が明瞭で響きも美しいです。「ゴルトベルク変奏曲」での1つの到達点、といっても過言ではないでしょう。これが書かれた時代にピアノという楽器は登場してなかったですが、ゴルトベルク変奏曲はピアノの為にあるんだな、と思わせてくれたのは何を隠そうこのアンドラーシュ・シフなのでした。
パガニーニの主題による狂詩曲
ピアノ協奏曲第2番
(ピアノ)ユジャ・ワン
(指揮)クラウディオ・アバド
マーラー室内管弦楽団
(Deutsche Grammophon 2010年(ライヴ))
上記2作品が収録されているCDですが、今回はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を取り上げたいと思います。これだけ人口に膾炙された楽曲(ソチでの迫真の浅田真央を見事に装飾したあの曲)であるので、名演名盤は数多いと思われますが、個人的にユジャ・ワンのピアニズムは好ましく思えます。
ユジャ・ワンは中国出身のピアニストで音楽一家で育ったようです。彼女の演奏は好意的な批評をよく目にしますが、自分も同じ感情を持っています。ロシアのロマン派を代表する曲であり高度な技術を必要とするこのコンチェルトを、彼女は臆することなく弾きこなしていて世評通りの技巧を聴かせてくれるのです。因みにライヴ盤だったりします。
この楽曲は冒頭部の和音が鐘の音を模していて、この和音の響かせ方はとても大切な気がします。ユジャ・ワンは見事にクリアしておりました。ピアニスティックで華麗な効果を持つ曲で造形的にも完璧、といって良いほどの楽曲なのですが、彼女はオーソドックスな解釈で鮮やかに音色を提示してくれます。天衣無縫という言葉がピタリと当てはまるかのようでもあります。
ラフ2は色んな音源を聴き比べていて、といっても必聴盤リヒテルは未所持という体たらくなのですが(汗)、基準盤はルービンシュタイン(名演!)で聴き込み、アシュケナージ、ツィメルマン、ラフマニノフ(自演)、グリモー(スキデス)、ヘルフゴット(『シャイン』のモデル)、等と比較してみてもラフマニノフの絢爛さやノスタルジーを豊かな表現力で魅せてくれ、ユジャ・ワンのテンペラメントには舌を巻いてしまいます。伴奏も流石のアバド/MCOといった感じで満足させてくれるものとなっていて、特に第2楽章での木管が響きの美しさには心と言わず外見までも洗われそうになります。コンチェルトの2はルービンシュタインが好みなのですが、ユジャ・ワン盤も甲乙つけがたいです。
アルゲリッチを彷彿とさせると言われるくらい攻めの強いピアニストの様ですが、この演奏では「付いてこれる人だけ付いてきなさい」的なアルゲリッチ/佐藤亜紀様式の印象は持ちませんでした。寧ろ爽快な演奏や流れる様なレガート奏法、詩情豊かで情感に訴えかけるタイプのピアニストなのだなという印象を受けますがどうなのでしょうか。
録音があまり良くなく少しボリュームを上げないと聞こえ辛く、スピーカーに1枚羽衣が引っ掛かっているのかな?と感じてしまう鳴りです。とはいうものの、掛かっているのは羽衣なのです。録音の瑕疵も彼女の素晴らしい演奏の邪魔にはなれないのでした。まぁ、自分の機材の善し悪しも影響していないとは言い切れないのが痛い所でしょうか(苦笑)
それにしても、クラシックの感想を書くのは初めてでしたが困難な作業なのですね(汗)ですが、調べたりもするので色々学べたり、愉しくもありました^ ^