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佐藤亜紀『小説のストラテジー』


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佐藤亜紀との出逢いというと今はなきファンタジーノベル大賞受賞作である『バルタザールの遍歴』で、当時の自分にとってはこの作品は荷が重く、読了してもそれを享受することができなかったという苦い思い出が、そもそもの始まりだった。しかし現在はある程度の読書量をこなし、読み手としての筋力みたいなものも少しはついたとも思うのだけれど(自分でいうのもなんだけれど)、その過程の一端を担ってくれた本として『小説のストラテジー』は欠くことのできない存在といっていい。もっと小説を知りたい、理解したい、享受したい、という思いから、文学論を手にしたときに偶然にも本書と巡り会えたのはぎょうこうだったといえるでしょう。しかし、文学論とはいっても本書は佐藤亜紀が早稲田大学で講義した際の覚え書きを、一冊の本という形にしたという体裁をとっているから、真剣に向き合わないと簡単には自己の血肉にはなってくれない。斯くいういう自分も本書を再読では済まないくらい、本の背表紙が擦りきれ、装丁の写真まで剥げ落ちてしまうくらい、読まなければならなかった。又、ポリフォニーもミメーシスも、シャーデンフロイデや文学カテドラルという言葉の存在も本書で初めて知り、小説という媒体を深追いする愉しさを体感し興奮することになった本でもある。しかもそれによってもたらされる報酬はかなり大きい。

とは言うものの、本書に書かれていること全てを鵜呑みにすることはあまり賞賛されることではないともいえる。そうでなければ、この世界には神は一人でありそれ以外は認めないという宗教感と同じになりかねないし、その様な危険を孕んだ書かれ方をしていたりもする。加えて小説に対する自負心からなのか、有無を言わせぬ断定的な記述の連続に息が詰まることもしばしば。だけどこれは、あくまでも彼女個人の文学に対する考え方であり(バフチンやナボコフの影響を多大に受けて書かれているとはいえ)、その中から読者が自分の中に何を留め何を破棄するかはを選択するのは、やはり読み手の感覚やセンスに委ねられるべきなのでしょう。

彼女は小説という媒体を言語芸術としてとらえ、文学だけでなくミステリーなどのサブジャンルも言語芸術になり得ると考えており、その彼女の視点は自分もにとっての新たな視座を手に入れる手助けとなってくれた。なぜ小説には物語性が必要なのか?書き手にはどう作品を書くのか?語りとはどういうものか?といった一読者の視点とプロの書き手にとしての経験に沿った思考の寄る辺を、細部に渡って解説してくれているので、読者としての向上心を持ち得る者に対する報酬は少なくない。ドストエフスキーから笙野頼子、ウォー、ナボコフ、チェスタトン、プラトン、ソルジェニーツィン、バフチン、ロッジといった優秀所の作品をチョイスして具体的な記述を用いて我々にキチンと提示してくれていることだし(残念ながらバフチンの『小説の言葉』の章は未だに理解できてないのだけれど)。勿論自分のように「~だと思う」といった逃げ腰の言葉は使用せずに、スパッと断言して言い切ってくれている所も(たとえばそれらが諸刃の剣であったとしても)読んでいて気持ちがよかった。

今振り返ってみて現在の読書においても習慣づいた最も重要な記述として、「小説とは書き手と読み手の遊戯的闘争である」という箇所が挙げられる。当時は目から鱗が何枚か剥がれ落ちちゃった。それを読むまでは、小説とは基本的に書き手にのものであり、読者はそれを雛のように口を開けて待っているだけの受動的な作業だと無意識レベルでは捉えてしまっていた感があったのだけども(これだと難解な作品に出会ってしまったら十中八九挫折してしまうだろう)、読んだあとからは書き手が身を削って書いた作品を(全ての小説がそうであるとは限らない)に対しては、読者も全ての感覚を総動員して鋭利な眼差しのようにギラギラと能動的に迎え打たないければならないということを叩き込んでくれた。その記述を読んでから現在まで、自分は小説というものに対しては何かのスポーツの試合であるかのように対峙する癖が身に付いたし、逆にこの小説は真剣に対峙するほどの書かれ方をしてない、という書き手の意気込みを捉える眼差しも得られた気もする。何だか一見すると上から目線の物言いのような気もするけれど、あくまで読者と作者は対等の関係であるべきだし、書き手のエゴ丸出しの小説というものは、ただの自己満足、読んでいる最中に頭を通過して読了後「あぁ面白かった」という感想だけで記憶にも残らない全くもって受け身の機械的な読解しかできなくなってしまう。自分で読む小説を選択した瞬間から、読み手は書き手の挑戦を甘んじて受ける覚悟を持つべきだという認識に変化せずにはいられなくなった。けれど、結局は読むという行為を楽しめなければ何の意味もないのだけれど。

小説について考えることになったその瞬間から、読み手はおそらくそれだけで読者としてのメモリが一つ上がるような気もするけれど、そこからさらにメモリを上げていくにはこういう良書を読んでいく必要性を痛感させられてしまう。勿論自分はまだまだ良き読み手ではないのだけど、積極的な創造性の芽は確実に伸びてきていると実感できることも無くはないし、快楽を享受できたという感覚を得られることもある。おそらくは『小説のストラテジー』を読了したときにの自分の変化に読み手は気付かずにはいられない、そんな読解に必要なマテリアルか備わった文学論が書かれていたのでしょう。

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.30 2015 【本:読書論/ブックガイド】 comment0 trackback0
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