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『ソラニン』

ソラニン



自由を求めて会社を辞めた芽衣子と、フリーターをしながらバンドを続ける種田。未来に確信が持てず、寄り添いながら東京の片隅で暮らす二人。だが、芽衣子の一言で、種田はあきらめかけた想いを繋ぐ。種田はバンド“ロッチ”の仲間たちと新曲「ソラニン」を完成させレコード会社に持ち込むが、反応のないまま日々は過ぎていく。そんなある日、種田がバイクで事故にあってしまう。遺された芽衣子は―――。


浅野いにおの同名漫画である『ソラニン』を映画化した作品。浅野いにおの世界観はすごく懐かしい気持ちを想起させてくれるので好きで、漫画のほうの『ソラニン』はもちろん持ってるし何度か読んでる。だから期待と不安の半々が入り混じる複雑な気持ちで手に取ってみた。

soraninn2.jpg soraninn3.jpg


画像をご覧の通りこの映画はBAND(音楽)が軸になっているんだけど、こういう音楽ものってやっぱ漫画では音がない分、絵で臨場感を伝えてどれだけ響いてくるか?だと思う。だけどこれは映画。漫画『ソラニン』は〔バンド(音楽)〕と〔青春〕という二極的な要素が主なのだが、やっぱり映画ともなると演奏シーンが必須なわけで、この二つの要素に〔音〕というものが加わってくる。この〔音〕が加わってくるということは、その音しだいで持っていた世界観や思い描いていた音楽性などが崩壊してしまう恐れがあり、それが一番怖かった^^;浅野いにおのノスタルジーや何の変哲もない人物が生みだす誰もが通過したことのあるような世界観が好きなだけにそれを潰されるというのが怖いのだ。もちろん映画と漫画は違うといわれればそうなのだが、原作を知っててスパッと原作を切り離して観れる人なんて絶対いないよね?(笑)

soraninn.jpg soranin.jpg


結論から言ってしまうとこれはなかなか素敵な作品だった^^ってか、鳥肌がたってしまうシーンがあったくらいだから、僕の好みのものがあまりない邦画の中ではベスト10には入るほどの作品と言ってしまおう(笑)

スト-リーとしてはとりとめて特筆するべきものがあるわけではないのだが、何かを感動させようとか涙させようとかいう見え透いた企みがないのが逆に好き(というか種田がああなるであろう展開がそのままなのには呆然www)。どこにでもいる普通の人物達が、ちっぽけだが自分たちにとってはとても重要な選択を迫られてもがいてあがいてそれぞれの答えを探しているという誰でも通過する〔青春〕。その道具というわけではないが、この人物たちが唯一持っているのが〔音楽〕でありバンド。それらがラストにとんでもないカタルシスを味わわせてくれる。

どんな世の中でも時代であっても、20代っていうのは何かに対してもがくものだ。人生の大転換期なのだから。それは夢を持っていても持っていなくても、何かしらもがいて何かを掴み取ろうとしたり見つけようとしたりするからだと思う(というか、しないほうがむしろ異常で心が躍動してる気がしない。)だが、それはたぶん実態がないもので、掴もうとしても掴めず、もがくだけ疲れたり傷ついたりしてしまう。だから20代はどこか冷めてるけど感情的で何も恐れず阿呆で、ふと一人になったとき心を覗くと虚無感がポツンと心に佇んでしまっている。でもそこを通過して突然何かが吹っ切れたようにならないと、いつまでも「子供のまま」から「大人になった気がする」へ脱却できない。そしてそのもがくという行為は20代(若さ)という時期にしないと、遅かったり手遅れだったり違うもがきになってしまう。僕は恋愛とかそういうのではなくて、こういうのが青春なんだと思っている(だからミスチルが良く唄う時代のせいにするような歌詞が大好きなのだw)。だから『ソラニン』の歌詞の「さよならなんだー」ってのが別れの歌には聴こえなくて始まりの唄に聴こえてくる。そしてその「さよならなんだー」のさよならが種田であり、始まりが芽衣子なのだ。

『ソラニン』はそこの重要な人生においての分水嶺を描いていて、これが見事に胸を抉ってくる。現代社会の一端を見せるイマドキ要素もあるし、少なからず青春を音楽に捧げた自分にとっては、バンドという題材だけで胸がキュンとしてしまったりもする。ストーリーはとてつもなく平凡だし、展開が予想できすぎてて苦笑いしてしまうが、その展開も最後のバンドシーンへの布石であって、この映画に入り込んでいろんなことを、巡らせて観ていた人にとっては自然で鳥肌がたったりいつの間にかポロッとしてしまっていたりするのだ。

その問題のバンドシーンは宮崎あおいが「ソラニン」を唄う場面であり、本作最大の見せ場でとてつもなく印象に残るシーン。「ソラニン」という曲の歌詞は作中に書いてあったものだが、映画にするにあたって音を付ける必要があるのだが、それがなんとアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)なのだ。アジカンといえばこれまでのすべてのCDジャケットに中村祐介の絵を使用しており(中村祐介は『夜は短し 歩けよ乙女』の装丁画を書いた方)、楽曲の世界観ととてもリンクしてて個人的には名フィーチャリングだと思い込んでいる(笑)

そのアジカンが手がけた楽曲がこれまた作品の世界観にマッチしてて、これはもう「何か持ってるな」と思わずにはいられないケミストリーの仕方をしてるのだ。宮崎あおいは作品を見る限り決して歌が上手いわけではないようだが、唄を歌うことの意味の捉え方が上手くて下手だけど上手い(笑)下手だけど上手いって何?と思うだろうけど、これはそのシーンを見てもらった方が手っ取り早いので動画をUPさせてもらうことにする。だけど、一つ言っておきたいのはこれから観ようと思ってる人はこのシーン先に観ちゃいけません。そして、このシーンだけ観ても、作品の流れの中で観るシーンとは月とすっぽんほど差があるのでお気をつけください^^

と思ったらPVがYouTubeにないー(笑)前はあってPCに落としておいたんだけど、UPしたら駄目だし。。。残念だけど、宮崎あおいの歌うシーンは載せれません^^;ので、せめてアジカンの唄う『ソラニン』をどうぞ!

ソラニン



これを映画では宮崎あおいが熱唱してます。ホント汗だくで臨場感があって、下手だけど唄うって何か知ってるから上手くて、ハート殴られたようにドキドキする。技術なんか関係なくなりふり構わず自分の感情をさらけ出して、歌詞に載せて叫ぶってのがギター片手に唄う醍醐味であり唄うという行為自体の意味でもあると思ってるから、宮崎あおいの感情の入れ方は歌い手として惚れてしまうくらい素晴らしいものがある。また、これまでの本編のストーリーがあるから、このシーンで解放される想いが計り知れなくて鳥肌も立つ。このシーンの為の映画といってもいいくらい、印象的なシーンなので、このシーンを観るためだけに本作を最初からみる価値があるといっても過言でないかも知れない^^


演技ではやはり宮崎あおいが飛びぬけて素晴らしかった。そのままでも漫画の主人公の雰囲気と合致してたからズルイといえばズルイけど(笑)種田役の役者さんは全く違和感だらけだったなぁ。下手ではないんだろうけど、あんなにツン度はいらない感じ^^;あと、本作のバンドのベース役にサンボマスターのベーシストである近藤洋一がコンバートされてたけど、この人も等身大のまま出演した?ってくらい作品にハマってて、ビックリした。上手いっていより自然体すぎて上手い(笑)



原作 : 浅野いにお「ソラニン」(小学館ヤングサンデーコミックス刊)
監督 : 三木孝浩
脚本 : 高橋泉
キャスト : 宮崎あおい 高良健吾 桐谷健太 近藤洋一(サンボマスター) 伊藤歩
メイン・テーマ「ソラニン」
エンディング・テーマ:「ムスタング(mix for 芽衣子):ASIAN KUNG-FU GENERATION(キューンレコード)
製作:「ソラニン」製作委員会
制作プロダクション : IMJエンタテインメント




4.0 なむなむ!


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.29 2011 【映画:ミュージック】 comment0 trackback0

河邑厚徳+グル-プ現代 『エンデの遺言 ~根源からお金を問うこと~』

エンデの遺言


ファンタジー作家ミヒャエル・エンデに導かれて「暴走するお金」の正体を探りに旅立つ。「老化するお金」「時とともに減価するお金」など、現代のお金の常識を破る思想の数々を紹介する。欧米に広がる地域通貨の実践―米国のイサカアワー、ヨーロッパの交換リング、スイスのヴィア銀行などをレポートする。    (BY BOOKデータベース)


本好きな方が『エンデの遺言』というタイトルの〔エンデ〕という部分でまず始めにピンとくるのはたぶんミヒャエル・エンデだろう。本書の〔エンデ〕というのはまさしく『モモ』や『果てしない物語』を書いたミヒャエル・エンデその人である。しかし、そういう一般的なファンタジー作家というイメージとは違い、【お金】の根源を問うエンデのアプローチを形にしたものが本書なのだ。といってもタイトルにあるように本書はエンデが著したものではなく、お金の根源を問うエンデとドキュメンタリーを作りたいと考え先だってインタビューを行っていたそのテープを元に書かれたものである。なぜ自身で書かなかったのかというと、エンデはドキュメンタリーが製作される前にこのテープを残して他界してしまったのからなのだ。しかし、どうしてもそのテープにあるエンデの遺言ともいえる熱弁を番組にして伝えたいという想いから、ドキュメンタリーが製作され本書が出版されたようである。そして、ここに書かれていることは、エンデが熱心に「お金の本来の形」を語る姿だった。

僕も『モモ』は一応幼少期に読んでいたのでおぼろげながら内容の記憶はあるのだが、実はあの作品にも「お金」を問う問題意識が隠されていたのである。〔灰色の男〕を何かに置き換えてみるとたぶんやんわりとでもイメージが掴めるだろう(思い浮かばなければ再読を)。それほど以前からエンデは「お金」というものに疑問を投げかけ、経済学者などと親交を深め論じてきたようなのだ。その証拠にエンデの本棚にはゲゼル『自然的経済秩序』、ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』、シュタイナー『社会問題の核心』、オンケン『ゲゼル全集』、ビンズヴァンガー『お金と成長』、マルグリット・ケネディ『利子ともインフレとも無縁な貨幣』、トルストイ『お金と何か』、ズーア『付加価値なしのお金』『利子とは泥棒だ』など、数多くのお金を論じた著作が並んでいたようだ。

それらのタイトルを読んでいくと漠然とではあるがいくつか見えてくるものが、はっきりと「利子」というものへの問題提起がタイトルからでも見えてくるだろう。だがまずはエンデが最も影響を受けたであろうゲゼルやシュタイナーの「お金の価値は減らなければならない」「お金は老化しなければならない」というテーゼに注目したい。自然界のものも人間が創造したものもすべて老化を経て消滅するというプロセスを必ず持っているが、お金に関しては老化もせず消滅もしない。人がいるかぎり膨張を続けるという得意な創造物で、これはいつか破綻に突き当たるという。確かにそれは至極最もなことでマルグリット・ケネディも「このままのシステムでいけば100年ないし200年で経済は破綻を迎える。これは計算をすれば誰でもわかることだ。」と言っているくらいである。加えて貯蓄からは利子も産まれ、お金は刷られるほど膨張してゆく。しかし、これはお金の本来の形ではなくて、お金もその他の物と等価交換されれば、役割を終え老化し消滅しなければならない。あるいは価値を減らしていつかは消滅しなければならないという。

実はこれはすでにオーストリアのヴェルグルという町で地域通貨という形で実践されていて、それが「スタンプ貨幣」というもの。これはスタンプによって一ヶ月ごとに価値が1%下がるという貨幣で、持ってても増えないばかりか、逆に使わなければどんどん価値が減少するというものなので、皆がすぐに使う。皆がすぐ使うということはこの貨幣が町でどんどん潤滑し貨幣の流通が滞ることがなくなったのである。これは町単位だったとはいえ大成功を収めたようだが、オーストリア政府の「紙幣の発行は国の独占である」ということから介入にあい禁止される。

しかしそれらの試みが地域通貨としての嚆矢となり、LETS(地域交換取引制度)や交換リングやSELなど、世界では現在2000以上の取り組みが行われているのである。驚くなかれ、実はわが国でも並行通貨というものは全国どこにでも存在していて、100や200はくだらないようだ。だが、地域通貨が流通している実感があるか?といわれると正直全くないのである。大概の方が実感してないことと思うが、これが問題でまだ全然浸透してないのである。

しかし、ニューヨーク州イサカという地域を見てみると地域通貨というものがほぼ町に浸透しているのだから驚いた。人口3万人の町で発行されている「イサカアワー」という地域通貨は、町のほぼどこでも使えるお金として流通しているのである。地元の銀行や数十社の企業でも扱われていいて、政府もこれを公認してるというのだからこれはもう成功例といっていいだろう。これを経済がどうにもならない日本でもやればいいと思うのだが、悲しいかな日本では「イサカアワー」にょうな地域通貨は違法になってしまうようなのだ(苦笑)もちろん米国では合法。しんどい国だ。。。

「イサカアワー」が成功してるのは「個人での労働に対する純粋な対価としての通貨」だからである。政府発行紙幣はどんどん紙幣に吸い取られていくが、イサカアワーは第二通貨として貯め込まれることもなく、法定通貨を補うためとして使われているからだと思う。ほかにも成功してる地域通貨はいくつもあり、法定通貨を補うお金として、現在の金融システムなどと切り離された存在で地域を救済してくれるのではないだろうか。

エンデは言う。「お金を変えられないことはない。人間が作り出したのだから」と。ネットマネーなど新たな形のマネーも登場してきているが、人の考え方次第ではまだ取り戻せるものがあるかもしれないという可能性を魅せてもらった。エンデの「東京会議」が実現していたら現状も少しは変わっていたのかな。。。



4.1 なむなむ!



あと、エンデのテープから作られたドキュメンタリー番組『エンデの遺言』をUPしておきます。もちろん、僕の文章を読むよりこちらを観た方が為になりますのでー(笑)



                         
ドミュメンタリー   『エンデの遺言』

エンデの遺言一
エンデの遺言二
エンデの遺言三
エンデの遺言四
エンデの遺言五
エンデの遺言六

.21 2011 【本:社会派/社会】 comment8 trackback1

勝間和代/宮崎哲弥/飯田泰之 『日本経済復活 一番かんたんな方法』

日本経済復活一番かんたんな方法


このままでは、日本はほんとにダメになる―飯田「脱デフレ政策、金融政策というのは、そんな難しい話じゃないんですね。それなのに、脱デフレ政策って非常に遅れたわけです」。宮崎「というか、まだ本格的には全然始動していない」。勝間「最近ようやく、しぶしぶ認めたぐらい。現状認識して、これから対策を立てて実行に移すっていう段階です。それを後押しできればと、こうして緊急で座談会をしているわけです」。徹底的に考えました。    (BY BOOKデータベース  光文社新書)   (BY BOOKデータベース  光文社新書)

評論家・宮崎哲弥、経済評論家(?)・勝間和代、経済学者・飯田泰之というメディアで活躍する三人が日本経済の復活へのシナリオを鼎談。経済が専門ではない宮崎哲弥が勝間和代と語りつつ、経済学者である飯田が学者視点で意見を挟むというのが基本的な図式。なので、僕みたいな知ろうとが読む場合は宮崎哲弥視点で読むと読みやすいかと思う。

本書には大まかな主題があって、それはタイトルにあるように失われた10年とか言われるように長い不況に陥っている日本経済をどう脱出させるか?というのが主題だ。そしてその答えはとてもシンプルで「デフレをインフレにすればいい」ということ。そしてそれには「日銀がどんどん紙幣を刷ればいい」というなんとも単純明快な解が示されている。これは読んだ限りどうやら三人ともに共通の意識のようだった。まぁそれにはまず潜在GDPと潜在成長率の目標値へもっていき、安定化の為に安定化政策を行う。そして、構造改革を行うなどなどもっと細かな道筋も明記されていたりもするのでこのデフレ脱却という主題も論理的に論じられていた。

しかしこんなに単純な政策だけでデフレが解消できるとは信じがたい。一般人にもわかり易く、尚且つ専門的な用語もしっかりと咀嚼できるように説明されて理解しやすいかったが、この論だけでデフレが解消できるほど単純な図式じゃないような気がする。でも、これも一つの手であると思えるのは、日銀は今まで大量の紙幣を刷ったことがないからだ。日銀総裁は「こんなことしてもインフレはおきない」という意見のようだが、やってみたこともないのに決め付けるのはナンセンスな気もする。

少し話が変わるが〔フィリップス曲線〕を丁寧に説明した章があるのだが、ここで「失業率と物価上昇率の間には逆相関がある」という記述があってインフレ率が低いときには失業率が高いといっている箇所がある。それを踏まえて2004年~2007年に行われた〔テイラー・溝口介入〕という35兆円という大規模な円安誘導が行われた。このとき実は景気が少し良くなった(一時期景気は上向きだといわれてた時期)。まぁでもこれも失業率が下がる前に金融緩和を続けなかった為に効果がでなかったようだが、こういう政策もどんどんやっていったらいいと思う。無駄にばら撒きするくらいなら、こういう政府介入でお金を使ってくれたほうが個人的には全然嬉しい。なので、日銀に紙幣を刷らせるために日銀法改正とか何を言われようと政府介入して、日銀の尻を蹴っ飛ばしと動かせばいいんじゃないかな。やったことないのに、やってみる価値もないというのもないでしょ(笑)

またちょっと以外だったのは管総理の以前の発言である。今は発言に配慮が足りないとか情けないというような意見まである管総理だが、宮崎哲弥の記述にあった「最小不幸社会」というコンセプトは感心した。野党時代の発言のようだが、これは「ある程度幸福になるのは個人の努力によるべきだが、多様性のある人々の住む社会で、個人の努力だけではうまくいかない問題に関しては、政治で解決する」という意味。「個人の努力ではどうにもならない」というのは、すなわち貧困や病や争いのことであるのだが、これを政治で解決して不幸を最小化する社会を目指そうというもの。以前ベンサムの「最大多数の最大幸福」やジョン。ロールズ「格差原理」以来のアイディアだと宮崎哲弥も褒めていて、僕も管総理の観る目が少し変わった(少しだけねw)。コロコロ変わるここ最近の総理大臣はデフレについての危機感が薄かったようだが、管総理はそれに関しても弱いかも知れないが危機感を持ちつつあるというとこも+の印象だ。いろいろ意見はあるだろうが、総理らしからぬ発言や行動とこういう感心できる点があるということで、管総理の評価を「総理失格」という烙印を押すにはまだ時期尚早だと改めた。

あと最後にいうのもなんだが、まず多くの人が「デフレ」とは何かをちゃんと認識しなければならないといっていた。それは国民だけでなくメディアも政治家も同じで、デフレには良いデフレなんてないということ。スーパーなどで食べ物や日用品などの物価が安くなって消費者としてはそれは嬉しいことだ。だが、物価が下がるということはそれを生産する企業はコストを削減しなくてはならず、ボーナスや人員削減や減給に繋がる。そういうもので給与に影響がないのは政治家や公務員や大学教授やメディアだ。民間や自営業などの国民にはいずれ減給などの形で返ってきちゃうのだ。だから、目先の物価の下降に浮かれてはいけないという。もちろんハイパーインフレなんてのは供給過剰でデフレを引き起こしている日本においては起こりえないようなので心配しなくていい。またインフレというと物価が上昇して嫌なイメージがあるかも知れないが、これも誤解で、一定の上昇率を保っていさえいれば失業率は減少するとともに、経済成長するには一定のインフレ率も不可欠らしい。小泉政権下で規制緩和や民営化を主軸とした構造改革が行われたが、デフレ不況下という最悪な状況で実施されたりもしたので安易に呼応してはならない。なので、まずは一番にこのデフレスパイラルから早く脱却させて欲しいと願うばかりだ。でもこれ一冊でデフレへの処方箋を知った気になるつもりもないので、もっとデフレの関連本も読んでいきたい。



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.09 2011 【本:社会派/社会】 comment6 trackback0

ファリード・ザカリア 『アメリカ後の世界』  訳 : 楡井浩一

アメリカ後の世界


世界は今、近代に入って3度目のパラダイム転換に直面している。アメリカ一極支配の構造が、着実に崩れようとしているのだ。これはアメリカの凋落ではない。「その他すべての国」の台頭なのだ。アメリカが自信を失う一方で、途上国経済は衰えを見せず、中国・インドといった新興の大国は影響力とナショナリズムを強めている。すなわち反アメリカではなく、「アメリカ後」の世界が築かれつつあるのだ。いったい、この「近代第3の革命」は、私たちに何をもたらすのか。    (BY BOOKデータベース  徳間書店)


ファリード・ザカリアという人は黄色いお店で本書を見つけるまで全く知らなかった。それもそのハズで単著二冊のうち『民主主義の未来――リベラリズムか独裁か拝金主義か』の一冊だけ翻訳されてるだけで、僕みたいな経済学が途上な者(笑)には初めて目に触れた感じだ。だが、この著者の経歴は素晴らしく、27歳という若さで『フォーリン・アフェアーズ』の編集長に抜擢、その後『ニューズウィーク』国際版編集長を経て現在は『タイム』に寄稿しているというからこの方面に対するなみなみならぬ才覚の持主だと思う。

その若くして頭角を現した著者がその後培ってきた様々なモノ、膨大な旅行や読書や熟考、そして情熱を持って書いた自信作だと豪語するほど。それを読んだ僕も熟考の末の論の正当さに賛辞を贈りたいと思うほど有意義な時間を過ごさせてもらったと言えるくらい論理破綻も見受けられない。その中身はというとハンチントンのいうような〔一極的多極性〕な国際社会は一極がなくなり二極・三極を経て多極化するというもので、アメリカの絶対的支配権はもうなくなるというもの。すでにグローバル経済でいたるところに伺えるほころびや、政治の面でもそれは顕著だ。そういう一極支配から多極化へのシフトを過去~現在~未来へと考察してゆく。それもいろいろな事例をlこれでもかというほど出して多角的に。

非西欧視点で書いたらしいが、ここのところはちょっと疑問で、多角的に考察はしてるものの論の中心はアメリカでありアメリカの視点ではないのかなとは思う。また、タイトルも少し本筋とずれているような気はするが一読の価値ありなのは間違いない。

どのような事がかかれている各章のタイトルをだいたい俯瞰できるようになってるので書き記しておくと、

第1章 「アメリカ以外のすべての国」の台頭
第2章 地球規模の権力シフトが始まった
第3章 「非西洋」と「西洋」が混じり合う新しい世界
第4章 中国は“非対称的な超大国”の道をゆく
第5章 民主主義という宿命を背負うインド
第6章 アメリカはこのまま没落するのか
第7章 アメリカは自らをグローバル化できるか

の7章構成である。特に一章は重要で多極化するということは〔アメリカの凋落〕ではなく〔アメリカ以外のすべての国の台等〕であるという点。アメリカが促したグローバルな世界という概念が多くの国々の台頭を促し、反アメリカでも脱アメリカでもなく、ポストアメリカという世代へと突入させたのだ。しかしアメリカのこれからの課題でもあるのだが、世界のグローバル化を促したアメリカは、実は自国だけグローバル化を忘れてしまっている。国内ばかりに目を向けて、軍事はともかく、国際社会での政治の面ではにっちもさっちもいかない状態になってしまったというのだ。本書ではその箇所を大英帝国の凋落と重ね合わせて語っており、大英帝国は「経済が没落を招いた」とするが、アメリカの場合は「政治が凋落を招きかねない」という危機的な提言をしてる。だが、この対比でもやはり著者はアメリカが好きなようで、大英帝国とは違う箇所を論じ、アメリカの進むべき道しるべも示していてアメリカの凋落を否定している。

また、一極支配→多極化へのパワーシフトにおいて、中国とインドを特に重視しており、4章5章でそれぞれの展望にまで突っ込んで論じている。中国は今後どれだけ節度を重んじた穏やかな路線で薦めるか、インドは国民重視で弱い政府をどこまで変革できるかが重要だ!と。

だがまだまだアメリカの大国としての立場は揺るがず、特に軍事・文化・教育の面では他の追随を許さないだろう。そして、他国の台頭する中でアメリカは政治・外交での配慮、そしてインド人の著者がアメリカの地を初めて踏んだときに感じた、アメリカの開放的な魅力を、また若い世代に感じさせることが大切だと締めくくっている。このような聡明な他国の人物が、アメリカを愛し批判しながらも擁護する時点においては、まだまだアメリカも大丈夫ではないのかな。そして日本ももっと他国にいろんな門戸を解放しないと、グローバルな国際社会では生き抜けないような気がする。



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.06 2011 【本:社会派/社会】 comment2 trackback0

常石敬一 『原発とプルトニウム ~パンドラの箱を開けてしまった科学者たち~』

原発とプルトニウム


自然状態ではほとんど存在しない猛毒の放射性元素、プルトニウムは、原爆の材料として人工的にこの世に生み出された。作ったのは科学者。最初は自らの好奇心に忠実に、新しい発見とアイディアに興奮する科学者だったが、やがて戦争の嵐の中で政治の中心に。巨大科学の時代が到来。科学の性格が大きく変質した19世紀末から半世紀を、懸命に生きる科学者たちの群像としていきいきと描く。そして今日の日本の原発とプルトニウムをめぐる複雑な事情にメスを入れる。   (BY BOOKデータベース PHPサイエンス・ワールド新書)


この時期だからこそ読んでおかないといけない部類の本というものがある。そう思って買ったのが本書であり、少しでも原発や核の知識を持っておきたいとの考えでのこと。地震とメカニズムに関するような本も読みたいんだけど、お手頃なのが見当たらなかったのでこれに^^。

本書のタイトルは『原発とプルトニウム』となっている。なのでてっきり原発についてのことと、プルトニウムに関することが書かれていると思ったのだが、随分想像してたものと違っていた(苦笑)両者ともに関する記述はあるのだが、三分の二ほど原子核の物理学史の為にページが割かれているのだ。これはまぁこれで科学者の情熱やプルトニウムへのコミット、快哉を叫ぶような発見までのプロセスを知れるし、簡潔に書かれているので読みやすくもある。だが、求めていたのは〔原発〕や〔プルトニウム〕そのものであって、副題である「パンドラの箱を開けてしまった科学者たち」ではないのだ。自分のサーチ不足も否めず反省しなければいけないが、この内容であればむしろ「パンドラの箱を開けてしまった科学者たち」をタイトルにしなきゃ間違いだ。編集者がこうしたのか著者がこうしたのか知らないが、ちょっとこの新書シリーズのタイトルには注意しなければならないですね(苦笑)

でも科学史を順におってゆくことによって、見えてきた利点というのもあって、時代の変遷によって科学者と科学との向き合い方が変わってきたことが一番興味深い。というか、純粋に科学を探求できていたのは第二次世界大戦以前までで、そこからは国家の軍事機密というベールに科学が絡めとられて、科学のあり方が変わらざる終えなかったのだ。科学者にとってはホント不本意だっただろうなと気の毒になってしまった。

そういった科学史が終盤まで続きそれが語り終わると、最近TVで連呼される専門用語や原子力発電所の簡易構造などが登場する。やはりここが一番本書で懸命に読めた。原子炉には軽水炉、重水炉、黒鉛炉があり、それぞれ濃縮ウラン、天然ウラン、天然ウランを使い分けていること。減速材も原子炉の型によって違うことすら知らなかったのでとても為になる。そしてなぜ発熱が必要なのか?発熱してからどうするの?なぜ冷却が必要なの?というレベルをやっと知れただけでも有意義な読書だったと思っている。

また、人口の原子炉(天然の原子炉的なものも昔はあったことが確認されている)はよく耳にするようになった制御棒によって、連鎖反応の暴走を防ぐようになっているのだが、この制御棒なるブレーキが利かなくなった例とも言えるものが、スリーマイル島でありチェルノブイリであるようだ。今原発で作業員の方々が命をかけて冷却作業や復旧作業を懸命にやってくれているが、これはあくまでも「冷却水がなくなって空焚き状態」を緊急炉心冷却装置が流されてしまったので人海戦術で行っているまでということらしい。なので、スリーマイル島やチェルノブイリとはまだ違う話のようだ。

話は変わってプルトニウムをためこむ原子力燃料の使い方には二通りあって、「核燃料サイクル方式」と「ワンススルー方式」があり、日本は国策として前者を選んでいるのだ。これは資源を海外に依存する日本という側面から考えれば、リサイクルで何度も使えるという利点がある。しかし、そのリサイクルに有用な資源として利用するため日本にはプルトニウムが32トンも貯めこんでいるのである。保管するのである(たぶんこれが今の福島での停止していて廃棄物を入れていたという4号機のプールも含まれるのかな?)サイクル方式故に膨れ上がりはすれど減らしはしないというのがなんだかそれだけで恐ろしく感じる。しかし再処理工場と高速増殖炉とで核燃料サイクルを軌道に乗せようとしてるのは日本だけのようで、唯一の例であるらしい。それにこれは莫大な経費もかかるし、ますます原子力に依存するのは今回の現状でわかりきっていることだがナンセンスだ。今回が沈静化したら東電も政府もなんらかの動きはせざる終えないが、国民はちゃんとその動向を監視しないといけないなと思う。

また最後に著者の一番印象的だった本書の総括の部分がとても共感できるものだったのでまとめると、

「核燃料を追い求めプルトニウムを取り出しためこむことは、核拡散の雰囲気を醸成なる。「被爆」経験をふりかざして核拡散を謳ってもこれでは意味も説得力もない。オバマの核廃絶の演説はインパクト大だったが、これからお手並み拝見的な風潮と一緒だ。日本も核廃絶を謳うならば、まず核燃料サイクルの廃棄が不可欠だ。またこのリサイクルには莫大な経費や広範囲な環境汚染も心配。事故が起これば人的被害も危惧される。経済的にも負荷がかかるし、核をためこむということはテロリストの格好の的でもある。まだ再処理施設も高速増殖炉も本格始動の目処はたっていない。だからこそ国際的な疑惑の目、核廃絶、環境保全の為にも核燃料リサイクルを今のうちに断念したほうが懸命だ。」

今回の原発の事故によって「想定外」はもう乱用しすぎたと思う。「人体に影響はない」というのも一般市民には心理的にそれだけで負担である。今回の「想定外」でさすがに関係者は原発との向き合い方を変えざる終えないだろうから、今本格始動してない原子炉は今までの経費はもったいないがこの際使わないでもいい。この税金の無駄なら許せる。そして今回の原子力での関係者以外の一般市民もライフスタイルは変えないといけない。

そして僕も唯一の非核三原則を持つ国であり、唯一の被爆国である日本は、核拡散防止の先方にたつべきだと胸のうちでは思っていたのだが、原発の面から見ると高らかにそれを言えないということがわかった。物事は一方向から見て物言うだけでは、見えてないものが大きいというのを再認識させられた。そう思うとちょっと恥ずかしいという思いすら抱いた。もっと多角的な面からダイナミックに俯瞰できる知識がまずは必要だ。これからもっともっと日常に関わる近いことも遠いことも直接的なことも間接的なことも知らねばと気を引き締めたのだった。



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.02 2011 【本:サイエンス/フィクション】 comment6 trackback0
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