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ファリード・ザカリア 『アメリカ後の世界』  訳 : 楡井浩一

アメリカ後の世界


世界は今、近代に入って3度目のパラダイム転換に直面している。アメリカ一極支配の構造が、着実に崩れようとしているのだ。これはアメリカの凋落ではない。「その他すべての国」の台頭なのだ。アメリカが自信を失う一方で、途上国経済は衰えを見せず、中国・インドといった新興の大国は影響力とナショナリズムを強めている。すなわち反アメリカではなく、「アメリカ後」の世界が築かれつつあるのだ。いったい、この「近代第3の革命」は、私たちに何をもたらすのか。    (BY BOOKデータベース  徳間書店)


ファリード・ザカリアという人は黄色いお店で本書を見つけるまで全く知らなかった。それもそのハズで単著二冊のうち『民主主義の未来――リベラリズムか独裁か拝金主義か』の一冊だけ翻訳されてるだけで、僕みたいな経済学が途上な者(笑)には初めて目に触れた感じだ。だが、この著者の経歴は素晴らしく、27歳という若さで『フォーリン・アフェアーズ』の編集長に抜擢、その後『ニューズウィーク』国際版編集長を経て現在は『タイム』に寄稿しているというからこの方面に対するなみなみならぬ才覚の持主だと思う。

その若くして頭角を現した著者がその後培ってきた様々なモノ、膨大な旅行や読書や熟考、そして情熱を持って書いた自信作だと豪語するほど。それを読んだ僕も熟考の末の論の正当さに賛辞を贈りたいと思うほど有意義な時間を過ごさせてもらったと言えるくらい論理破綻も見受けられない。その中身はというとハンチントンのいうような〔一極的多極性〕な国際社会は一極がなくなり二極・三極を経て多極化するというもので、アメリカの絶対的支配権はもうなくなるというもの。すでにグローバル経済でいたるところに伺えるほころびや、政治の面でもそれは顕著だ。そういう一極支配から多極化へのシフトを過去~現在~未来へと考察してゆく。それもいろいろな事例をlこれでもかというほど出して多角的に。

非西欧視点で書いたらしいが、ここのところはちょっと疑問で、多角的に考察はしてるものの論の中心はアメリカでありアメリカの視点ではないのかなとは思う。また、タイトルも少し本筋とずれているような気はするが一読の価値ありなのは間違いない。

どのような事がかかれている各章のタイトルをだいたい俯瞰できるようになってるので書き記しておくと、

第1章 「アメリカ以外のすべての国」の台頭
第2章 地球規模の権力シフトが始まった
第3章 「非西洋」と「西洋」が混じり合う新しい世界
第4章 中国は“非対称的な超大国”の道をゆく
第5章 民主主義という宿命を背負うインド
第6章 アメリカはこのまま没落するのか
第7章 アメリカは自らをグローバル化できるか

の7章構成である。特に一章は重要で多極化するということは〔アメリカの凋落〕ではなく〔アメリカ以外のすべての国の台等〕であるという点。アメリカが促したグローバルな世界という概念が多くの国々の台頭を促し、反アメリカでも脱アメリカでもなく、ポストアメリカという世代へと突入させたのだ。しかしアメリカのこれからの課題でもあるのだが、世界のグローバル化を促したアメリカは、実は自国だけグローバル化を忘れてしまっている。国内ばかりに目を向けて、軍事はともかく、国際社会での政治の面ではにっちもさっちもいかない状態になってしまったというのだ。本書ではその箇所を大英帝国の凋落と重ね合わせて語っており、大英帝国は「経済が没落を招いた」とするが、アメリカの場合は「政治が凋落を招きかねない」という危機的な提言をしてる。だが、この対比でもやはり著者はアメリカが好きなようで、大英帝国とは違う箇所を論じ、アメリカの進むべき道しるべも示していてアメリカの凋落を否定している。

また、一極支配→多極化へのパワーシフトにおいて、中国とインドを特に重視しており、4章5章でそれぞれの展望にまで突っ込んで論じている。中国は今後どれだけ節度を重んじた穏やかな路線で薦めるか、インドは国民重視で弱い政府をどこまで変革できるかが重要だ!と。

だがまだまだアメリカの大国としての立場は揺るがず、特に軍事・文化・教育の面では他の追随を許さないだろう。そして、他国の台頭する中でアメリカは政治・外交での配慮、そしてインド人の著者がアメリカの地を初めて踏んだときに感じた、アメリカの開放的な魅力を、また若い世代に感じさせることが大切だと締めくくっている。このような聡明な他国の人物が、アメリカを愛し批判しながらも擁護する時点においては、まだまだアメリカも大丈夫ではないのかな。そして日本ももっと他国にいろんな門戸を解放しないと、グローバルな国際社会では生き抜けないような気がする。



4.0 なむなむ!



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.06 2011 【本:社会派/社会】 comment2 trackback0

鶴田俊正 『規制緩和 ~市場の活性化と独禁法~』

規制緩和


本書で私が論じようとしたことは、日本の経済社会においてマーケットメカニズムが正常に機能するための制度的枠組みはどうあったらよいのか・・・・・政府規制と読禁法規制の双方について、政府と産業との関係はどうあるべきか、ということにおかれている。   (BY 本書掲載文 ちくま新書)


本書を読んだ理由がただただ唐突である。TVで〔規制緩和〕というフレーズが飛び交ってるものを観ててあまり話についていけないのが悔しくて、急に知りたくなったのである(笑)急に読みたくなって買ってきたものということで選択の余地はなく、初版は少し古い1997年刊。法律の世界で10年も時が経過してるということは、法改正などで随分それらを巡る環境は変化しているかも知れないが、知識が皆無な者にとっては一連の流を知れるということでよしとしようと思う。

まず規制緩和とは何かというと、文字通り「規制を緩和する」という意味である。マーケットを独占・寡占させない為など、市場の保護の観点から設けられたのであるが、規制に大まかに二種類あって、まず一つ目が【政府規制】で別名〔直接規制〕とも呼ばれる。もう一つが【独占禁止法】でこちらは〔間接規制〕とも呼ばれる。これらは経済を隅々まで市場原理で覆い尽くそうとしているのではなくて、一定の市場の競争や国民の利便性などにも密接に関連しそれをよりよいものへと昇華させるために設けられた。

規制緩和という制度は古くからあったが、「規制の緩和・見直し」というものが重要なテーマとされたのは、1993年に細川連立内閣が発足してからのようだ。その後めまぐるしく変わった政権の中でも、このテーマは常に重要な政策として考えられてきた。これに関連する動きは米国ではカーター政権から、英国ではサッチャー政権からみられたということもあり、国際社会というグローバルな世界でも風潮として同じベクトルを向いてるとみていいだろう。というか、やはり日本は後発国型からルール型規制へと脱しえてないようだし動きも遅いような印象を受けてしまった。

規制緩和を語るときに【政府規制】と【独占禁止法】という二つのものが重要かという前提の前に、日本の現状を語ると日本は〔規制国家〕と呼ばれるほどがんじがらめの規制網が敷かれており、ここでも「異質」の国という位置づけのようなのだ(苦笑)GHQが整備した体制をそのまま継続してるものが多いが、これもその部類なのかも知れない。まぁ現在では良くも悪くも規制緩和の影響は周りでみられるようになったわけであるが、以前は政府の産業介入は全幅の信頼が寄せられていて歓迎されてた。だがそれではいけないということで「いままでのような保護行政という観点からではなく、ルール型の規制へと転換してゆく」方向へ進み、軽視されがちだった〔独禁法〕の重視・整備が重要視されるようになったのだ。これは今までの産業育成という観点だけでなく、独占・寡占から市民を守るという観点も重視するという動きにおいても重要な方向性なのである。

もし独占・寡占が罷り通ってしまったら、あらゆる商品の価格を企業が操作できるようになってしまい、極端な例だが「じゃがいも一個1000円」というのも罷り通ってしまうのである。それが全製品に波及してしまうとどうなるだろうか。人間は食料を摂取しなければいけないから、どうしても買わなくいけなくなるが、消費者にはどうしようもなくその価格で買わざる終えないのだ。そういうことにならないように、【政府緩和】と【独占禁止法】がバランスよく市場にリズムを齎すこが大切なのである。

現在でもまだ問題は山積みであるようで、その最たる例が〔護送船団方式〕と指摘されているように、極端に競争の微弱な分野があったりするのだ。このような競争部分と非競争部分、すなわち政府規制産業の幅広さの反面、独禁法適用除外制度の有無が問題視されている。また、細分化して例を挙げてみるとまず電力会社の問題がある。電力・ガス・鉄道・バスなどなど、市民に密接に関連してくるものなので介入は適切であるといえるが、先進諸国と比べると電気料金は高いようである。これも政府規制が原因で競争する相手がいなく基盤が微弱になってしまうのだ。今電力会社の方々は原発の対応に命をかけて頑張っておられるが、これとはまた違った別の次元で情報開示の遅さなどが指摘されている。これはもしかしたら競争相手がいなかった電力会社がぬるま湯に浸っていて、責任問題の意識や危機体制の整備不足などが低いからのかも知れない。競争相手というのは経済の活性化には不可欠なのだということが痛いほどわかる例ではないだろうか。また、読書好きには密接に関係するであろう、再販制度などもある。〔再販制度〕とは「メーカーが卸売価格や末端の小売価格を決めて販売できる仕組み」のことであるが、こういった価格拘束は企業間競争を阻害し国民利益を損なうから禁止されている。だが、著作物(本や新聞や音楽CDなど)や一部の化粧品や医薬品には再販行為が認められているのである。こういうものは公平性に欠けるし指定再販の全廃が求められている。

またつい最近話題になった派遣労働の問題も一連の規制緩和が関わっているとも言われており、これは規制緩和の失敗例といっていいだろう。市場拡大の為に規制緩和は必須だが、規制する産業と自由経済に委ねるものとを取捨選択し、市場リズムを損なわないよう円滑な活動が育まれる改革が今後とも推進されてほしいと思う。



3.8 なむなむ!


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.30 2011 【本:社会派/社会】 comment2 trackback0

今村仁司 『貨幣とは何だろうか』

貨幣とは何だろうか


貨幣を経済学の封じこめから解き放ち、人間の根源的なあり方の条件から光をあてて考察する貨幣の社会哲学。世界の名作を“貨幣小説”として読むなど冒険的試みに満ちたスリリングな論考。貨幣を人間関係の結晶化と見、自由と秩序をつくりだす媒介者としての重要性を説く。貨幣なき空間は死とカオスと暴力の世界に変貌するからだ。貨幣への新たな視線を獲得することを学ぶための必読の書。   (BY BOOKデータベース  ちくま新書)


今一番僕自身が興味を持ってると言っても過言でない分野が経済学である。その中でも特に知りたいことはというと、経済とは切っても切れない〔貨幣〕について。一口に〔貨幣〕といっても紙幣や硬貨から手形や債権や株なども、言って見れば広義の意味では貨幣である。〔貨幣〕は経済学を学ぶ上での早い段階で知っておかねばならない命題のようなもの。故に経済とは切っても切れない〔貨幣〕本を手に取ったわけなのだが、これがちょっと毛色が違ったのだ(苦笑)嫌、別に本書がおそまつだとか言うのではなくて、僕の狙った的とはちと外れた場所に白羽の矢が刺さっちゃったようなのだ。

なぜかというと、これは「経済学の貨幣論」ではなく、「社会哲学的貨幣論」だったのだ。何がどう違うのかというと、まず「経済学の貨幣論」というのは交換や市場での貨幣、すなわち貨幣の機能的な面で扱われるのが経済学での貨幣論。一方「社会哲学的貨幣論」というのは、貨幣の機能を記号論的に捉えるのではなく、貨幣の存在そのものから〔存在論〕としての貨幣を語ろうとしてるのである。なので、手にとって趣旨とは全く違ってくるのだ。しかし、これもまた興味深い貨幣論であるのは間違いなく、そのまま読んでしまった。

従来の貨幣論というのは貨幣を機能的に捉えることしかしない貨幣道具論止まりであり、このような素材の面でのみピックアップしても貨幣の本質は捉えられないと著者は言う。そうではなくて著者は「貨幣は形式としての貨幣」、貨幣形式が重要であると述べそこには〔死〕の概念をまとっているというのである。そんなこと言われてもイマイチピンとはこないだろうが、本書の中にはそれに関する記述はしっかりとある。例えば、マオリ族のマルセル・モースが贈与行為を行うとき、その贈与財には「死」が前提の行為だというのだ。確かにここはそのまま納得できる。しかし、納得できな部分があり、それは「貨幣は人間存在の根本条件である死の観念から発生する」という記述である。これが全編に流れる著者のエッセンスなのだが、これは「死」と「貨幣」を直結しすぎだと思えてならない。

この著作を読んだ松岡正剛も「「死の観念」がなかったとはいえない」とは述べてはいるが、「死の観念から発生する」とはやはり違う。ジンメル『貨幣の哲学』などを用いて俯瞰したりしているが、著者の論理には納得できることは到底できないというのが正直なところ。もちろん、それは僕が未熟で知識が乏しく、理解力不足というのもあなきにしもあらずだ。また、本書の物言いも難解でわかりずらく初心者が十分に咀嚼し飲み下せるレベルの本ではないようでもある。だが、この著者の「死」と「貨幣」の突拍子もない手の繋ぎ方には無理があるというのは、しっかりと向き合って読めばわかると思う。いろんな著名人の著作を引用して面白い部分もあったが、肝心の箇所は当てが外れたという印象だ。

しかし、お薦めもあって、それが三章・四章でゲーテ『親和力』とジッド『贋金つくり』という二つの「貨幣小説」を用いての貨幣の存在解説の部分。ここで「貨幣小説とは、人間世界を媒介し、関係の安定と秩序あるいは道徳と掟の世界をつくりだす媒介形式を主題とする」など、貨幣は犠牲の代理だと言っていたりもして、ここはモチーフといい論証といい一読、二読の価値があると思えるほど読み応えがあった。最終章では「エクリチュール的関係」までに踏み込んで文字と貨幣を対比してるが、ここもいきつく先は「死」への観念であるから、興味があれば読んでみてもいいのではと思う。

この著者の貨幣と死の結び付け方には難があるといった読後感だが、いかんせん僕が専門家でもなんでもないからそれは興味を持てば各々で確認してもらいたいと思う。だが、著者が捉えようとした貨幣形式の捉え方は嫌いではない。初めにも書いたが当初はただ経済学の貨幣を知ろうとして手に取った僕だが、こういう角度からも貨幣というのはアプローチがなされているんだと知れたのは豊作なんだと思うことにする(笑)そして、〔貨幣〕というのはそれ一つでかくも奥が深い存在なのだとちょっとした衝撃も残った。



3.9 なむなむ!



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.23 2011 【本:社会派/社会】 comment3 trackback0
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